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ハイスタが16年ぶりに突然告知も無しに新曲をリリースしました。

もうパンクロックは何年も聞いてなかったけど、

あの頃を思い出さずにはいられなくて、今日は10年以上ぶりに音楽のCDを買いました。

 

 

今日はとても個人的な話。

僕のブログだから思ったことを好きに書こうと思います。

さっきハイスタのCDを聞いて何かが揺さぶられたから。

 

僕は今ヨーガの実践と指導に全エネルギー注いでいます。

なぜかって?

子供の頃に好きなことをして生きようと決めたからです。

ちょっと95年まで遡りますね。

 

長くなりそうだし、ヨーガとは関係ないからヒマな人だけ読んでください。

 

 

僕はたぶん普通の子供だったと思います。

父は公務員だったから、小学生の頃は現実的な夢を見ていたと思います。

それがこうなったのは、

小学6年生の95年6月、ブルーハーツのビデオを兄貴に見せてもらったのがきっかけでした。

なんだかその瞬間に火がついちゃって、貯めていたお年玉貯金をお母さんにおろしてもらって、ブルーハーツのCDを買って、8月にはエレキギターを買って、

(95年7月にブルーハーツは解散、同年ハイロウズとして活動が始まる)

ブルーハーツとハイロウズを聞きまくり、ギターを練習し、

大人になったらバンドマンになるのを夢見ました。

その年、初めてライブ(ベンチャーズ)を見に行った時の音圧の感動はもちろん今でも強く覚えています。

中学に上がるとギターアンプを買って、中学2年の時に初めてハイロウズのライヴを体験し、

もうその頃の頭の中は46時中ヒロトの声とマーシーのギターが鳴っていました。

何かは日に日に加速しました。

 

そして、当時のシーンでは自然な流れでハイスタを聞くようになります。

中学生時代の一番の思いでというか衝撃は

ハイスタンダードが主宰するAIR JAM98 でした。

 

当時大学生だった兄貴にチケットをもらって、

3時間半かけて一人で東京に行き、兄貴の友達と合流し連れて行ってもらいました。

1回目のフジロックフェスティバルが97年だったから、

フェスなんてもの知らないし、北茨城の港町で育った僕には全部が衝撃で

花の都大東京も、野外フェスも、大学生の兄貴の友達も、何もかも。

 

当時のパンクロックシーンはパンクというジャンルだけど、

反抗や反発という思想よりも、

『 人生熱く生きようぜ! 』

的なメッセージが強かったのも僕には良かったのかもしれません。

(これもブルーハーツの流れか?)

ハイスタをパンクとは呼べないというゴリゴリのパンクスもいましたが、

僕はハイスタやそのシーンにいたバンドに夢中でした。

 

高校生になるとさらに加速し、

毎月のように、多いときは毎週水戸のライトハウスというライヴハウスに行き、

高2の夏、千葉マリンスタジアムでのAIR JAM2000 では会場に一番最初に入り、ハイスタの難波さんから

『 お前が1番乗りか! 』と声をかけられ、

熱く楽しい仲間達と青春を謳歌しました。

 

音楽を通して、沢山のライヴハウスで遊び、友達が増えました。

 

大学1年の夏、本物のパンクスが気になり、

バイトして、ロンドンに行きました。

 

海外の衝撃は僕の火に油を注ぎました。

得にすごかったのは、ロンドンでの滞在中、

道ばたで甲本ヒロトに出会ったことでした。

ヒロトに憧れいろんな世界を知り、パンク発祥の地ロンドンに行ったらヒロトと遭遇。

彼は気前良く一緒に写真も撮ってくれて、僕の中でのパンクロックは幕を閉じ、

その後大学4年間は旅をしました。

旅をきっかけにカウンターカルチャーに影響を受け、あっさりパンクは卒業。

好奇心は尽きることなく、小田実の『 何でも見てやろう 』という本の題名をモットー( 本の内容は覚えていない w )に全力でバイトをして、当時行きたかったところや、やりたかったことをやりまくった中での05年2月、2度目のインドでヨーガと出会いました。

 

好奇心は尽きることなく、ヨーガはその頃はまだ趣味の一つでした。

 

3月に大学を卒業すると、4月から24ヶ月間

ワーキングホリデーでオーストラリアに行き、車でオーストラリアを1周。

ケイコと出会ってもう半周。

 

08年に帰国後、住み込みのバイトをして、

ヴィパッサナー瞑想に行ってからのIYC荻窪でアシュタンガヨーガの練習を始めることになりました。

 

そこからはプロフィール通りですが、

僕も何度も

『 就職をして普通の生活も幸せなのでは? 』

『 好きなことは趣味でいいじゃないか? 』

と脳裏をよぎったのですが、

その度に95年の僕が

『 大人になっても好きなことをやるって決めただろ? 』

とチャチャを入れ、踏みとどまりました。

 

好きなことをすることを正当化したい訳でもなく、

オレってすごいだろ!? って言いたい訳でもないです。

やりたい事を諦めた人に何か言いたいこともないです。

僕だって絶対にやり続けたいけど、いつかくじける時がくるかもしれない。

 

だけど少なくとも今日まで自分の思いを保ってこれたのは、

10代の頃の衝撃や感動が尾を引きずっているんだと

この文章を書きながら思います。

 

まだまだ衝撃を受けたいし、まだまだ感動したいんです。

その為に早寝早起きして、まだ見ぬ感覚を探しています。

感動していることに感動できるという

お花畑野郎なのです。

 

 

 

パンクロックとヨーガは対極にあるようですが

僕には1本の道です。

 

 

 

突然届いたハイスタからのメッセージはみんなにどう届いたんだろう。

 

あの頃の仲間も今このCDを聞いているのだろうか?

あんなに好きだったけど買わない人もいるだろう。

僕も一瞬躊躇した。

 

好きなことを信じて突き進む大人の生き様を感じたくて、

僕がヨーガを続けることを応援して欲しくて、

パッケージを開け、歌詞カードを見ながら聞いた。

 

 

 

 

It can be long way

You got nothing to lose

 

 

 

 

明日も自分の信じた道を全力で歩む為に

全力で自分の練習に打ち込もうと思います。

 

 

 

 

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