インド

 

ナマステ!

 

年も明け、例年ならこの時期はインドだ。

12年から去年までの5年間は日本の冬は毎年インドで過ごした。

 

さか上る事2004年、初めてインドに行った時から

僕はずっとインドの事を考えている。

それほど強烈な体験だった。

05年にインドに行った時はヨーガにも出会うことができ、

どんどんヨーガにのめり込むと同時に、インドへの思いも強くなっていった。

 

06年から2年間、ワーキングホリデーのビザを使いオーストラリアに行った。

オーストラリアに行ってすぐに人生で最も影響を受けた日本人に出会った。

8つ年上のその人は更にインドにどっぷりで

オーストラリアとインドを行き来していた為、

いつもインドの魅力を語ってくれていた。

ワーボリ中に出会う友達は旅をしている人が多く、

旅の話になるとだいたいインドの話になった。

 

半年も経たないうちにこの2年間はインドの準備期間と言い聞かせながら旅をするようになった。

英語を喋れるようにして、お金を貯めて、旅のスキルを上げ、

インドじゃないとできない体験や、

インドじゃないと会えない人に会おうと

オーストラリアでがむしゃらに働いた。

 

20ヶ月を掛け、オーストラリアを車で一周した07年12月。

お金がある程度貯まり、

日本には帰らずにインドに行くことを親ではなく兄にメールすると

『 それは家族との約束違反だ。2年たったら一度日本に帰ってきて、

  どうしても行きたいならそのあとインドに行け。 』

と反対された。

確かに2年経ったら帰るという約束はしていたが、

当時の僕はそんなことは気にしていなくて、

日本に帰ることなんて考えていなかった。

多分兄もこのまま僕が帰ってこないことを心配していたのだろう。

僕はオーストラリアの勢いのままインドに挑みたかったのだが、

兄の『 とにかく一度顔を見せろ 』という説得に

家族が僕を心配しているということを知り、

( それまではそんなこと考えていなかった。)

とりあえずは4月に帰国することにした。

 

今思うとそこが人生の大きな分岐点だった。

 

バイロンベイ近郊に住んでいた僕はケイコと出会い、

3ヶ月かけてレインボーサーペント経由で

エアーズロックまでの内陸の旅をした。

 

オーストラリアは物価が高く、

この3ヶ月の旅でインド資金を使ってしまい、

僕たちは帰国後すぐにインドには行けず、

東京に引っ越し、ヨーガの練習を深めながらインドを目指した。

 

この時期僕はIYC荻窪でアシュタンガヨーガと出会う。

IYC荻窪のマイソールクラスはとんでもない人だらけだった。

僕がやっていたヨーガとは全然違う。

こんなヨーガが、こんな世界があったのかと驚き、

僕のインドという目的地はインドのマイソールに変わった。

 

東京は東京ならではの刺激に溢れ、

思うようにお金が貯まらず、

3年半で8回職を変え、インド資金が貯まったのが11年末。

12年1月、やっとインドに行けることになった。

 

インドは僕の期待を裏切ることはなく、

心も身体も魂も揺さぶられ、試され、自分の未熟を痛感し、また成長も感じ取れた。

幸運にも同士、仲間もできた。

通い続けようと決めた。

 

2012年からの5年間はさらにインドの事を考え、

インドに通うことにエネルギーを注いだ。

インドに通うことは簡単だが簡単ではなかった。

最初は我慢しなければならない事も多かったが、

マイソールやゴアでの練習を思えば全て我慢できた。

 

3年間山小屋で住み込みの仕事をしたり、

ケイコと結婚したり、

神戸に移住してマイソールクラスを始めたりもしたが

絶対に来年もインドに来るぞ。

絶対に今年もインドに行くぞ。

と毎年誓った。

 

それほどインドでの練習は僕の人生を燃え上がらせた。

 

 

が、

今年はインドに行かないことにした。

もちろん準備はしていたが、

日本での冬を過ごします。

 

一生毎年通い続けられるとは思ってなかったけど、

こんなに早く休む年が来るとも思っていなかった。

 

何はともあれ今年は日本で過ごします。

 

そう決まれば日本で全力で過ごすだけなので、

この冬、寒いやらなんちゃらなんて気にしないで

フルパワーで自分の練習とクラスを行なって行きますので、

皆さん一緒にヨーガに熱く打ち込んでいきましょう!

 

 

 

今年インドに行かない年が僕の何かをきっといい意味で変えてくれると信じ、

僕自身、日本で過ごす冬を大切にしながら

熱い日々を過ごそうと思います。

 

 

では、今日も良い1日を!