4月6日(金)吉村純シェフによる味噌汁LIVE

 

【プロフィール】
吉村 「STUDIO VEGAN」主宰
1978年北海道生まれ。
19歳より5年間かけて20数ヶ国を旅して世界を味わう。
ペルー、オーストラリア、東京などのレストランで働き多くの人との出会いから食文化の多様性を知る

熊本県御船町にある医療機関併設のカフェ(しましまの木)での経験を機に、
医療と食を結ぶこと
熊本地震被災や自身のアレルギー体験から、
食に対する根本的な考え方を改める

今までのレストランで作ってきた特別な料理から日常の食卓に注目
全ての人が安心して食べられる、国籍も宗教も世代も性別も超え、みんなで同じ食卓を囲めるビーガン料理の世界へ

食卓から世界を変える をコンセプトに

現在はSTUDIO VEGANを立ち上げ、熊本県の水俣市を拠点にビーガン料理(野菜料理)の普及のため料理教室を主軸に活動。
各種イベントとのコラボ食事会、ケータリング、商品開発、畑での野菜作りなどを通し、野菜料理の魅力や料理をする事の大切さ、たのしさを伝えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナマステ!

 

 

最近は旅をしていないけど、

僕は旅がとても好きです。

 

人生が変わるような衝撃的なことが沢山あったし、

人生を変えてくれるような出会いも沢山ありました。

 

題名に書いた吉村純という男はその一人です。

 

2004年 

初めてのインドでのバナラシ、ガンジス川沿いの宿で出会って、

出会ってすぐに意気投合。

宿の屋上で毎夜様々なことを語り合い、

特に彼の料理の話は今でも覚えています。

 

僕は今よりも10キロ以上も痩せていて、

食べるということにほとんど関心がない生活を送っていましたが、

あまりにも熱い男だったので、

彼の料理を食べてみたいと思っていました。

 

2005年 

僕は2度目のインドにゴアを選び、音楽やヨーガを満喫していると純さんからメールがありました。

『 カイロのサファリという宿で毎日ご飯を作っているから、エジプトに来たら? 』

確かこんな内容だっと思いますが、

僕はムンバイからカイロに飛び、サファリという宿を探しました。

今はどうかわからないけど、当時のカイロには旅人だけではなく、

中東に出入りしているジャーナリストっぽい人もいたりと、

インドでは合わないタイプの人が結構いました。

サファリという宿には年単位で住んでいる日本人が何人かいて、

とても驚いたのを覚えています。

僕がサファリに着いた時、純さんは滞在者みんなの食事を作っていました。

僕は学生だったけど、いろんな人がいて、観光したり、

次の目的地の情報を調べたり、ただ生活していたり、

( サファリには麻雀部屋があり、何ヶ月もずーっと麻雀だけをしている人達もいた。笑。 )

そんな中でも食事の時間になるとみんなが食卓を囲む。

それまでのアジアの旅ではなかった楽しさでした。

 

サファリには10日間ぐらいの滞在だったけど、

僕はこの時というか、

純さんとの出会い以降食事という行為に関心が湧くようになりました。

 

 

 

2007年 

オーストラリアのベリーという街の農場で働いていた頃にもタイミングが合い、

彼は僕らが滞在していた宿に来て、

みんなの食事を作ってくれました。

 

当時の僕はまだ将来のことをそんなに考えていない時期だったから、

自分の好きなこと(料理)で世界中を旅していた純さんには

かなり強い刺激をもらっていました。

 

 

と、ここまでは僕と純さんの思い出ですが、

僕は2002年〜神戸に移住するまでは旅をすることにも情熱を注いでいたのですが、

その期間に出会った人の中でもトップクラスの魅力的な男です。

そんな純さんは現在熊本県で活動しています。

 

この度、

『 神戸でWSをやるよ!』

と連絡をもらって、詳細を見たら

『 味噌汁LIVE !』をやるそうです。

子供も連れて行って良いとのことなので、

僕たちは3人で参加しますが、

興味がある方は是非とも参加してみてください。

 

詳細はFacebookでの投稿に過去の味噌汁live の投稿が載っているので、

そちらを見た方がイメージしやすいと思います!

 

こちらをクリック

 

 

純さんの思いの綴られた文章を発見したので添付します。

 

Made in 吉村

熊本御船町にある しましまの木 というカフェで
肉も魚も卵も動物性の物は一切使用しない
ビーガン料理を創っています

ランチは日替わりの一種類のみ

長岡式の酵素玄米と具沢山のお味噌汁
野菜のおかずが二品

週末はこれにおかずがプラス二品

メインは出汁を使わない野菜の旨味を最大限に引き出した具沢山のお味噌汁です

毎日、日替わりでメニューやレシピは無く

毎朝買い物をして農家さんのその日の野菜を見て

インスピレーションで献立を考えています

今朝も買い物に出かけると きりあげ と書かれた食材と目が合いました

毎日同じ所で買い物してるのに毎日語りかけてくる食材は違います

きりあげ … 何だろコレは⁈

どうやら油揚げを作った時に出る端くれをまとめた物の様だ

何だこの艶と色 旨そうだ 買ってくれ〜アピールが凄い

そう思った瞬間にカゴに入っていた

今日は何を創ろうかな〜⁇
というか何が出来るのだろう⁇

なるべく自分の意思で決めない様にしている

今朝、バイトの娘が実家で作った青梗菜を持ってきてくれた

その瞬間に主役が決まる

ビーガン料理を始めてもうすぐ4年

今までは普通の料理をしていた

肉も魚も卵も何でも使っていた

メインは豚肉 鶏肉 牛肉 魚 ホタテ カニ エビ イカ
何でもあった
野菜は常に付け合わせだった
主役はいつも動物性の物だった
野菜は脇だった
実は、何でも良かった 主役の肉や魚の事ばかり考えていた

そんな僕が今は、野菜が主役の料理を創っている

始めた頃は不安でいっぱいだった

野菜だけでお客様が、満足してくれるのだろうか⁇
1000円というお金を払ってもらえるのだろうか⁇
不安だらけだった

でも、僕は野菜の力を信じていた

ある出来事がきっかけだった

ビーガンで行くんだ‼️

野菜の力を広めるんだ‼️

僕の料理人生をこれにかけるんだ 強い信念があった

野菜だけで料理

野菜だけのランチ

皆様はどう思われますか⁇

よくイメージがわかないとか、本当に野菜だけで作れるのと聞かれます。

僕が26歳の時の話です
19歳から料理の世界に入ったのでその時で7年目
東京の恵比寿の和食屋さんで働いていました。
客単価も高くネクタイをして板前をしていました
メニューに、だだちゃ豆というブランド枝豆があり価格は千数百円
枝付きのまま茹でて氷にさすだけ…

高いな〜と思っていた

当時26歳 この位 簡単だと今まで通り茹でていた

その茹でている僕の姿を見て
当時の料理長にコテンパに打ちのめされた

今まで何を教わってきたんだ‼️
そんな物出せるか‼️
茹でる事も出来ないのか⁇
帰れ‼️
目の前で僕が茹でた枝豆をゴミ箱に捨てられた

悔しくて泣いた

恥ずかしい話だけど26歳 良い歳 今までの7年間何をしてきたのだろうか⁇
号泣した

茹でるという事を真剣に学んで来なかった

その後に料理長に言われた
この料理は茹でるだけだ
でも、その茹で方で千数百円を頂く料理なのだと

その時から素材と向き合う事

茹でる事 切る事 炒める事 揚げる事 など
基本の調理法を学んだ

一生忘れない出来事だった

あれから10数年

今年で僕は39歳 料理歴も振り返れば20年

その料理長が去年突然亡くなった

突然の訃報だった

あの当時その料理長は今の僕と同じ年齢位だった

料理長はもうこの世には居ないけれど

僕の記憶と身に付いた技術の中に確かに生き続けている

生きていたら僕の茹でた野菜を食べてもらってお礼を言いたかった…

肉体が滅びても生き続けると言うのはこう言う事だと思う

この事を僕が次の世代に繋げれば料理長はずっと生き続ける事になる

僕もそんな人生を送りたいと思う

少し、脱線したが

野菜が主役のシンプルな料理とは

まさに、この調理法が鍵だ

茹でる 炒める 煮る 揚げる 蒸す などの調理法をどれだけ丁寧に 真剣に向き合えるのかと言う事だと思う

今朝の青梗菜をランチの主役に

僕なら出来る

訳あって僕は青梗菜を2年間毎日茹でた変わった経験がある

チンゲン菜を2年間茹でた先に見えてきた世界

茹でる事の基本が僕の中に出来た

この位お湯につけたらこれ位の食感になる

この基準が僕の中に出来るとその上 、その下が出来る
真ん中さえ分かれば、そこを基準に上と下が決まり左と右が決まる

今はどんな野菜でも分かる

秒単位で硬さを調整できる
身体の一部の様に野菜を感じられる

そんな事を久々にチンゲン菜を茹でながら記憶が走馬灯の様に頭の中を駆け巡った

振り返れば20年

一つの区切りかもしれない

野菜料理に辿り着いたのも何かのご縁

食べる事は生きる事

今まで食べたもので 今 がある

健康の源

野菜料理を通して生きる事を学ぶ

学んだ事を伝える

お腹を満たすための食事ではなく

心を満たす食事

僕はここに今世を捧げる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月8日日曜日は11時半から芦屋で出張シェフでイベントに参加されるようです。

 

 

 

震災や結婚の時、神戸に移住してからも連絡は取っていたけど、

多分11年ぶりの再会になるのかな?

そんなに時間が流れていたとは。

 

 

写真は2005年3月 エジプト・サハラ砂漠でのキャンプの帰り。

1枚目 なぜかキャイーン  左 吉村純  右 誠也

 

2枚目  左上 吉村純   右 誠也

僕は初めての砂漠だった為、真ん中の方に

『 砂漠は何回目ですか? 』

って聞いたら

『 パレスチナの難民キャンプ以来の2回目だ。』

と言われ、度肝を抜かれました。(笑)