心の成長について

 

ナマステ!

 

今日はムーンデイの為練習はお休みです。

もうここでの練習も残すところ約2週間となりました。

 

僕の日課の一つにブックマークしているブログを読むということあるのですが、

木下景子先生のブログ『 身体の限界はある、心に限界はない。』

を読んでハッとして、この二日間は自分の心について考えていました。

 

どこか抜粋しようと思ったけど、
全文を読まないと誤解を生みそうなので抜粋できませんでした。
ぜひ全部読んでください。

 

 

僕は今までの人生で、『 頑張る 』とか『 努力 』をせずに大人になってしまい、

( 学校や職場で強制的に頑張らさせられたことはある。)
『 努力 』とは無縁のことに打ち込んだことはあるけど、
それはただ楽しいだけで、
ただ楽しいだけの日々に楽しさの限界を感じていました。
だから自分の意思で何かを頑張ったり、
努力することに憧れを抱き、
そして、アシュタンガヨーガに出会い
初めて真剣に何かに打ち込める人生を歩めて、
ヨーガという生き方に気持ちが高まっていっている最中です。

 

だけど、心にはもっと様々な感情や働きがあって、

頑張ることや努力という性質の気持ちを使った時に現れている
もっと違う感情や思いにも意識を向けていかないと
偏った主観で自分の世界を作り上げてしまうし、
視野が狭くなってしまいますよね。
時に心の成長のチャンスを潰してしまうことも。

 

( ちょっと誤解を生みそうな文脈になってきたので補足ですが、
あくまで練習中の一番のテーマはトリスターナという呼吸と視点を定めるテクニックを用いて、『 集中 』することとしています。
で、僕の中での頑張ることや努力とは
バックベンドやカポーターサナでの最後の一押しと一呼吸や
ウップルティヒでお尻が着きそうになってからのもう一呼吸です。
それ以外のほとんどは頑張ることを手放して、集中することを意識しています。)

 

それを踏まえてあくまで僕なりにですが、
今回のインドではアーサナの練習を頑張っています。
( 身体に痛みがないので。痛みがあったシーズンは全く別のテーマで過ごしていました。)
だけど、痛みがない時に頑張ること自体は思っていたよりは簡単で、
( 前回のブログでは挫けた時のことを書きましたが )
昨日という判断基準があるから
ただ毎日昨日の自分よりもやるだけです。
それが強くなるポイントだと思っていたし、
練習を通して強くなりたいとも思っていました。
だけど、そこから生まれる、もしくはその時に元々存在していた感情には
見向きもせずにいました。

 

昨日、一昨日とその感情がどんなものか見ようとしたけど、
今まで見ようとしてこなかった感情だったので、
それがどんなものかはわかりませんでした。
が、そこに何かはいました。
本当にちょっとづつではあるけど、
ヨーガという実践は自分について様々なことを教えてくれます。
けど、それには師や先生が必要です。
自己解釈のみでの学びと実践は
それこそ独りヨガリ。
景子先生やシャラジの一言がないと
( 今回のような景子先生のブログとか )
火の付いたやる気というエネルギーは
時にコントロールができなくなってしまうようにも感じます。
すでに僕は全開を出しきらなくては満足できないようになっているし、
満足感を得る為の練習になっていました。
まして、僕のようにそれが良いことだ!
自分の為になることだ!
という思いが強くなればなおさらです。

 

心の成長の為にももっと自分の心に意識を向けてみます。

 

アーサナの練習を通してヨーガという生き方に出会いましたが、
アーサナの練習をすればするほどに
アーサナの練習をしている訳ではないということを思います。

 

僕とケイコは幸運にも最初のアシュタンガヨーガの先生が木下景子先生で
10年経った今でも見守ってもらっていますが、
皆さんも素晴らしい先生に出会えるといいですね。
景子先生のブログからのヒントを僕なりに模索していくこと。
答え合わせはないけれど、
きっと僕の道筋が少し危うくなってきたら
また道しるべを差し伸べてくれることでしょう。

 

残り2週間、少し視野を広げて挑戦を続けていこうと思います。

 

少し髪の毛を整えて気分転換